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2017.01.15

30年後もノーベル賞大国であるために、禁断の劇薬「国立大学を半数に」

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東大は産学官連携を進め、民間企業とともにベンチャー企業を立ち上げるなどアグレッシブだ。外部資金もどんどん集めている。でも世界で戦うにはとても足りない。日本人は総論では大学への寄付に理解を示すが、いざとなったら動いてくれない。OBの協力が不可欠なんだ、と熱弁を振るった。

「金額によっては安田講堂に君のネームプレートを張るよ」
 
これにはカチンときた。大学法人化の後は、母校から毎月のように「寄付寄こせ」封書が届く。私とてささやかな協力くらいおしまない。だが、昨今のやり方は度が過ぎていないか。なまじ国立大学の現場を経験しただけに、余計腹立たしく感じるのである。

大学では経営と教育研究が分離している。とはいえ、前者が資金集めに奔走し後者は使うだけ、というわけにはいかない。まじめな研究者ほど懸命にお金集めに取り組もうとする。元来、お金集めが苦手な人たちの集まりが大学でもある。武士の商法で調達できる生半な金額でもない。いきおい、金策のために研究を犠牲にする事態も頻発している。多少の資金は集まったが研究時間が減った、では冗談では済ませられまい。

国からの交付金は減る、民間からの資金もしれている、でも研究水準は上げろ。要するに絶対矛盾にぶつかっているのだ。この10年余り、文部科学省も大学関係者も必死に取り組んできたが、隘路は開けそうにない。

焦眉を開くにはどうするか。禁断の劇薬がある。

国立大学を半数にまで減らすのだ。とりわけ優秀な研究者と学生に絞り込む半面で、個別大学の研究費を倍増する。50校ほどの真に能力とやる気のある競争的な大学に、限られた資源を集中させるのである。平均的正義をあきらめ配分的正義に徹するわけだ。

30年後もノーベル賞大国であるためには、古きよき「民主主義」と決別するしかないのかもしれない。

編集 = Forbes JAPAN 編集部

この記事は 「Forbes JAPAN No.30 2017年1月号(2016/11/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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