マザーハウス代表兼チーフデザイナー 山口絵理子(左)とフォーブス ジャパン 副編集長 谷本有香。

「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念をもと、山口絵理子は2006年にマザーハウスを設立した。自らバングラデシュ、ネパール、インドネシアなど現地へ赴き、職人と交渉をしながら、レザーのバッグやストールなどのデザイン・生産を行い、2015年からインドネシア、2016年からはスリランカの資源を使ったジュエリーの取り扱いも開始した。

現在の生き様を聞けば強くたくましい印象を受ける彼女だが、小学校時代はいじめられっ子で不登校になっていた時期もある。どのようにして山口絵理子という女性は形成されてきたのか。話を聞いた。


谷本有香(以下、谷本):山口さんは今のご活動の根底には、小学校時代にいじめられていた経験があるとおっしゃっていますね。ある意味、山口さんは学校社会において異分子的存在だったと思うのですが、異分子だったからこそ、今の自分があるとも。異分子であることは生き辛いことでもあったと思います。

山口絵理子(以下、山口):自分の異分子的な要素を、尊重すべき個性だと気づかせてくれる出会いが重要でしたね。私は小さな頃から辛いことがあると絵を描く癖があって、学校に行っていない間もずっとお絵描きしていたんです。

それを見た母が「えりちゃんは学校に行かなくても、絵が上手いね」と言ってくれた。人から認められる個性が自分にもあると、気づかせてくれたんですよね。そこにデザイナーになった原点があります。

谷本:お母様の他にも、竹中平蔵さんが山口さんの個性を認めてくださっていますね。慶應義塾大学の竹中ゼミを受けている大勢の学生うちの一人だったはずなのに、竹中さんは今でも山口さんのことはきちんと記憶していらっしゃる。人の記憶に残るような個性の出し方というのはあるのでしょうか。

山口:竹中先生に対しては、最初の講義の時に先生の理論を私が否定したんです。でもそれは、一目置かれようとしたかったわけではなくて、ただ単純に不思議だと思ったからいっただけなんです。

子どもの頃から私は、自分がわからないことは、腑に落ちるまで聞いてしまう。それが学校社会から排除されてしまった理由にもなっていて、小学校の校長先生にもなぜ前習えをしなくてはいけないのかと聞いたり、コンビニの募金箱の存在が不思議でしょうがなくて、大人に何でこれはあるのか、と尋ねるような子どもだったんです。

竹中先生は、理論を批判した私を怒るのではなく、面白がってくれたんですね。大笑いしてました。その日、トイレの前ですれ違いざまに「良かったですよ」と言ってくださったことは、とても嬉しかったので今でもよく覚えています。

大人になってからは、バングラデシュに行ったことも大きかったです。多様な価値観と出会ったことで、自分という人間もアリなんだと思う経験ができたのは幸福なことでした。本当に、出会いが大切です。

谷本:どうやったらいい出会いに巡り会えるのか悩む人もいると思います。山口さんの場合は、良き理解者、良きパートナーをどのように見つけ出すのですか?

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山口:所属している組織によって、否定されたり面白いと言われたり、自分の評価は変わります。だからこそ、私は環境によって自分を変えたりはしません。それから、率直に自分の意見を言うことですね。

マザーハウス副社長の山崎大祐とも、会社を設立して3年目の頃は関係が険悪だったのですが、あえて喧嘩を避けないようにしていました。1日に何時間も、お互いのどこがどう嫌なのか率直に言い合っていた。私の人間性まで否定されたりして、悔しい思いもしましたよ。

でも、思っていることをすべて言い終わってみるとすっきりすると同時に客観的になれて「とは言っても、この人がいなければ自分のビジネスは成立していない」と気づけるんです。私がビジネスに対して理解が不十分なところを彼が補ってくれているし、彼ができないことを私がバングラデシュやスリランカなどの現地で成し得ている。それでお互いの存在の重要性に気付くんです。

構成=吉田彩乃 インタビュアー=谷本有香 写真=藤井さおり

 

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