レーシングドライバー佐藤琢磨(左)と日本JC第65代会頭 山本樹育(右、photograph by shuji goto)

F1とインディカーの両方で表彰台に上がった世界的レーサー・佐藤琢磨。アウフヘーベンなどの弁証法を経済活動の現場に導入する一大改革を成し遂げた日本青年会議所(日本JC)の山本樹育会頭。40歳という節目直前に出会った同世代・同学年のふたりが語り合う、世界に挑戦するために必要なこと。

佐藤琢磨(以下、佐藤):10歳のとき鈴鹿サーキットで生のレースを見て衝撃を受け、19歳でモータースポーツの世界へ入るんですが、登竜門のレーシングスクールの入校資格が当時は20歳までだったんです。オーディションもまだ実施されていなくて、審査は書類選考のみ。

幼少期からレーシングカートで鍛え上げてきた周りの選手たちの中で、カート経験も浅く、20歳を迎えようとしていた自分は圧倒的に不利で……。倍率は10倍でしたし。

そこで自分の気持ちを伝えたいから面接してくれとねじ込んで、全員の試験方式を変えさせてしまった。高校でも担任の先生に嘆願して自転車部を立ち上げ、高校総体を目指した。はじめは形が無くて無理だと思えることでも、やってみなければわからない。道というものは情熱で切り開けるんだと思うようになったのはこの頃からでした。

山本会頭(以下、山本):当時から世界を照準に入れていたのですか?

佐藤:憧れていたのがアイルトン・セナだったので、モータースポーツの中心である英国に行きたいとずっと思っていました。そしてスクールでのスカラシップを受けた後、1998年夏には、片言の英語力ながら実際に行ってしまった。ホームステイで英語学校に通いながら、レースを始めました。

山本:周囲は英才教育を受けたレーサーで、しかも自分は外国人。その中で戦っていくことに不安は感じなかったんですか?

佐藤:気持ちだけは負けないと。言葉ももちろんですが、身振り手振り、そして表情で伝わるものもあるんです。失敗を恐れずにチームのメカニックに何度でも伝える努力をしていけば、「そうか、こいつはこうしたいんだな」ということは結構伝わるんですよ。

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山本:まさにJCでも必要とされる「伝える力」ですね。トップが夢をはっきり語り、形にしていくことによって周りも付いてきます。共通のイメージを現場に伝えることができれば、チームとしてまとまり、組織として強くなる。人を動かすというのは、そういうことなのかもしれませんね。

佐藤:世界でレースをするとなると、僕は外国人の立場。コミュニケーションにおいては二重三重の確認をすることを習慣にしていました。日本人は一を聞いて十を知るという文化がありますが、海外では、一を伝えるのに十言わないとわかってもらえないのが現実。そしてすでに確立しているカテゴリーの文化の中に入っていくわけですから、こちらの言うことを素直に聞いてくれるわけもない。

ただ、食事をともにし、同じ時間を過ごすと伝わるものがあるし、絆も生まれる。その上でしっかりとしたロジックで思いを伝えれば「こいつのために頑張ってやろう」という気持ちも芽生えてくるんですよね。もちろん実績も必要です。

山本:まず最初に情熱があり、そこにコミュニケーションスキルと実績が加わると、人を説得して動かせるということですね。実績の積み重ねが重要なのは経済の現場でも一緒です。一朝一夕で変わるものなどなく、コツコツ続けない限りは何も変わらない。

佐藤さんには鈴鹿が強烈な原体験としてあり、そこからたゆまぬ努力をなさって世界に羽ばたいた。日本JCでも少年少女国連大使という事業を行い、子ども達に世界を舞台に強烈な原体験をしてもらう活動もしていますが、それは佐藤さんのように世界レベルで通用する人材を育てたいからなんです。

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佐藤:今はスマホがあれば疑似体験できる時代ですが、そんな画面サイズには収まりきらない楽しさや感動、発見が世界には溢れていますからね。そして現実の世界にはたくさんの失敗も伴います。

山本:そうです。でもその失敗を起点としてどうするかで、人間はさらに成長していくものです。お互い来年は40歳。私は会頭のバトンを次代に渡し、佐藤さんはより大きなステージへと移ります。でもこれからも歩みを止めず成長していきたいですね。

佐藤:はい、経験で培われたメンタルと更なるトレーニングで、引き続き挑戦し続けたいです。


山本樹育(やまもとしげなり)◎日本JC第65代会頭。1977年生まれ。大阪府出身。慶應義塾大学経済学部卒業。2000年山本貴金属地金株式会社入社。経営企画室室長などを経て、14年同社代表取締役副社長に就任。05年大阪JCに入会。日本JCでは14年副会頭を経て、16年会頭に就任。

佐藤琢磨(さとう たくま)◎レーシングドライバー。1977年生まれ。東京都出身。早稲田大学人間科学部中退。2002年から08年までF1に参戦し、10年からはインディカー・シリーズに参戦。F1とインディカーの両方で表彰台に上がった。

Promoted by JC 文=清水りょういち 編集=明石康正

 

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