『21世紀の資本』で資本主義の危機を訴えたトマ・ピケティ(ULLSTEIN BILD / AFLO)

人によって、育った環境や能力などは千差万別だ。そして、所得格差はますます広がっている。筆者は、「日銀やGPIFの政策に、格差を是正するヒントがあるかもしれない」と指摘する。

仕事をする時の指標として、どうしても「時間」という要素が出てくる。

「成果=方法(質)×時間 」という方程式で表すならば、成果を出すには「時間」は非常に重要である。誰もが平等に1日24時間与えられている。とはいえ、睡眠や食事の時間は必要なので、物理的に24時間仕事をすることはできない。
 
ここでひとつ思考実験をしてみよう。仮に「仕事は8時間労働+2時間まで」とし、「残業した場合、1時間あたり正規の時間の3倍増しで残業代を払いなさい」という法律が制定されたら、どうなるか。残業させればさせるほどコストがかかるので、どんなブラック企業でも社員に残業をさせないだろう。もっとも長い時間働きたい人も会社に止められるために働くことはできなくなるが。
 
仕事で結果を出そうにも、時間で差がつかなくなれば、その人の経験や能力、人脈、体力、運などの質の部分が重要になってくる。また、学歴などもモノを言うだろう。少なくとも就職の段階では学歴が高い人のほうが有利な面がある。
 
人間は平等であるべきであり、命の重みが平等である点は論をまたない。しかし、人が置かれる状況は千差万別だ。世界には紛争地域もある。より安全な日本でさえ、過酷な家庭環境があったりする。能力に差がなくても、手厚い教育を受け、愛情深く育てられた人と、毎日殴られ、罵声を浴びせられた人の家庭とでは、学力に差がついてしまっても不思議ではない。はたしてこれが平等なのだろうか。
 
基本的な能力が身についていない人は、仕事の質を量でカバーするという戦略がある。もちろん、そこも工夫できればよいのだが、仕事で工夫をするには過去の経験や教育の厚みが必要になる。だから、「量ではなく、質でカバーしろ」というのは、親に愛されて十分な教育を受けた人による想像力の欠如の発露だ。
 
仕事の量に厳しい規制がかかると、結果的に格差が固定されるのではないか、と私は考えている。たまたま親の年収が高く、健康な家庭に生まれた子供と、そうでない子供との生まれてからの格差が挽回しにくい社会になるかもしれない。それどころか、格差は拡がるだろう。教育機会の格差を就業期に取り戻せない可能性があるからだ。

編集 = Forbes JAPAN 編集部

 

あなたにおすすめ

SEE ALSO