苦戦するリーボックに「第3ラウンド」はあるか

Kristy Sparow / gettyimages

スポーツ用ブランド、リーボックは11月3日、マサチューセッツ州カントンにある本社オフィスを閉鎖すると発表した。スポーツシューズ部門で他社との競争に苦戦し、売り上げ低迷が続く同社は今後、回復を遂げることができるのだろうか。それともオフィス閉鎖は同社の最後のあがきなのだろうか。

筆者はリーボックに大いに期待している。同社はこれまで何度も、未開拓市場に気づき、積極的に攻勢をかけるブランドとして名を上げてきた。これまでの軌跡を振り返ってみよう。

リーボック(の前身)は1895年、イギリスで誕生した。創業者のJ.W.フォスターが最初のスパイク付きランニングシューズを開発し、その後1924年の五輪出場選手たちにシューズを提供。1960年代までには職人20人を抱える企業となった。

1970年、ボストン・マラソンでリーボックのシューズを履いたロン・ヒルが優勝すると、その特徴的なストライプ模様が広く知られるようになった。だが80年代になると、スポーツではなく娯楽として運動する人が増加。ナイキやアディダスも登場し、競争が激化し始めた。

第1ラウンド:初の女性向けスニーカーの誕生

1982年、リーボックは初めて女性をターゲットにしたスニーカーを発売。今も販売されている“フリースタイル”の誕生は、同社の売上を大幅アップさせた。タイミングは完璧だった。フリースタイルの発売直後に女優ジェーン・フォンダがワークアウトビデオを発表したことで、女性のエクササイズやエアロビクスが主流になったのだ。収益性の高い市場に一番乗りを果たしたことで、リーボックはトップメーカーのステータスを維持することができた。

第2ラウンド:位置づけが明確に

2005年には、アディダスがリーボックを買収。今や業界の巨人となったナイキに対抗するためだった。当時、両社の年間売上高は合計で123億ドル(約1兆3,200億円)、ナイキは137億ドル(約1兆4,600億円)。できるだけ迅速に、その差を埋めることが目標だった。

だがその後、アディダスは米プロバスケットボール協会(NBA)との契約からリーボックを追い出し、代わりにアディダスのシューズを提供した。
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編集=森 美歩

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