ブリヂストンの「ガバナンス改革」が成功した理由

ブリヂストン 津谷正明 取締役代表執行役CEO兼取締役会長 (photograph by Irwin Wong)

第2の創業と位置づけた米ファイアストンの大型買収で躓いた。以来20年以上の試行錯誤の末につかんだ最適ガバナンスを全社的に応用して急速にその業績を伸ばしたその経緯とはー。

世界26カ国に生産・開発拠点を持ち、150を超える国で事業展開するブリヂストングループ。2010年から右肩上がりに業績を伸ばし、15年には過去最高の売上高を達成。ROE(株主資本利益率)も12年以降4期連続で2桁を軽々と超えている。好業績に加え、11年には早くも社外取締役4人体制に移行、16年3月には指名委員会等設置会社に移行しているほか、指名・報酬委員会のメンバーのすべてと監査委員会の過半数を社外取締役にするなど、先進的なガバナンス体制が高く評価されている。その先導役の津谷正明取締役代表執行役CEO兼取締役会長に聞いた。



ーブリヂストンはいち早く、ガバナンス改革に取り組み、業績に結びつけている。成功要因は。

その質問には簡単には答えられない。なぜなら、コーポレート・ガバナンス(企業統治)に教科書なんてないからだ。私たちは自らの危機を乗り越えるために試行錯誤し、「継続的改善」を行ってきたことが、よい結果になっただけだ。

我々は現在、企業理念に掲げた使命「最高の品質で社会に貢献」を具現化するため、コーポレート・ガバナンスの充実を経営の最重要課題のひとつとして認識している。経営の質向上と意思決定の透明化を図ることは絶対的に不可欠。その強化に継続的に取り組んでいる。

ー現在のガバナンス体制が築き上げられたきっかけは、「第2の創業」と位置づけている1988年のファイアストン買収後と認識していいのか。

その通りだ。買収は戦略的には間違ってなかったが、経験のない市場環境や労働環境、文化、国民性の中で事業を成長させていかざるをえず、混乱の連続だった。権限や責任に対する考え方の違いも大きかった。アメリカの経営陣との議論も続かず、お互いが不信感を抱く状態。

終止符を打てたのが、10年。同年、グループのポリシーや戦略の下、日本としっかりコミュニケーションを取れる経営陣にした。もちろん日本側でも最適な経営チームや日本側に足りないことを探りながら改革を進めた結果、米州事業の業績は持ち直し、現在グループ全体の業績に大きく貢献している。この過程で最も重視したのが、ガバナンス体制をどうつくるのかということだ。

なぜなら、苦い反省材料があるからだ。ファイアストン買収から5年後、1人の日本人CEOに全権掌握させ、米州事業の黒字化に成功したことがあった。優秀な人材で赤字企業を立て直したが、大きな成長の芽は出せず、その後を引き継いだアメリカ人経営陣たちは「独立国」のようになり、議論が進まず、「第2の創業」は夢と消えてしまった。
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文=鈴木裕也

この記事は 「Forbes JAPAN No.28 2016年11月号(2016/09/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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