【対談】ISAK小林りん x ビズリーチ南 壮一郎 vol.2「起業という選択」

学校法人インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢 小林りん 代表理事


小林:私はISAKの前に4つ仕事をしていました。前半2つは「自分の成長」が軸で、外資系金融とITベンチャーでバリバリ仕事をしていました。後半は「やりたいこと」を軸に、教育や社会貢献、国際協力のようなことをやりたかったので、国際協力銀行とユニセフで働きました。

前半は、働き方は好きだったんですが、やっていることに納得できず。逆に後半は、仕事内容には満足していましたが、働き方に納得できませんでした。だから、この2つを掛け合わせ、自分らしい働き方で働きながら、結果として教育や社会貢献になるような働き方ができないか、ずっと考えていたんです。

そんな時期に岩瀬くんから谷家さん(谷家衛氏:あすかアセットマネジメント 代表取締役会長)を紹介され、「学校をやりませんか」と言われて・・・。青天の霹靂でしたが、まさに私のやりたいことが両立できるのではと思い、引き受けることにしました。

100人のファウンダーと学校をつくる

:そもそも学校を作ろうと考えたことはあったんですか?

小林:谷家さんに誘われるまで、全くなかったです。海外ではアキュメン・ファンド(※)のような企業が出てきていて、そういうところに転職しようか、もしくはアキュメン・ファンドのようなものを日本でも作れないか、いろんなことを模索していた時期でした。※Acumen Fund:発展途上国において雇用を生み出し、社会に貢献するサービスを持続的に提供することが望めるビジネスの設立に投資することで、貧困問題の解決に寄与することを目指す起業ファンド。

でもずっと教育への興味はありました。特にユニセフで働いていたときに、教育を受けられていない人を減らすのは大事だけど、本当にそれだけで世の中は変わるのか? と思い、一部でもいいから“社会を根幹から変えられる人”を輩出していくような学校ができたらインパクトがあるなと考えていたんです。

:実際に学校が立ち上がるまで、すごく大変でしたよね。ファウンダーの皆さんは、りんちゃんや学校にとってどういう存在なんですか?

小林:恩師であり、同志ですね。もちろん、ご支援していただいているのもありますが、「みんなで作っている学校だ」と皆さんが思ってくださっているのを感じています。

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実は、学校を立ち上げようと動き出した直後にリーマン・ショックが起こって、1人に20億円寄付いただくプランから、1,000万単位かそれ以上で100人の「ファウンダー」に寄付いただく計画へと変わったのです。そして全員が学校設立の当事者になった。でもそれが、結果として大きなうねりのようなモメンタムを生み出したのだと感じています。

1,000万円出したからには、成功してもらわなければ困るので、いろんな人をどんどん巻き込んでくれるんです。1人だけから寄付いただくプランだったら、ここまで話題になっていなかったと思います。

:ベンチャー企業で5〜6年準備している会社なんてないので、本当に立ち上がるのかな? と思っていました。精神的にすごく大変なんだろうなって。

小林:それは全然なかったですね。最初の4年間は誰も雇わず、全員手弁当だったので、資金が一錢も減らない状況でしたから。

オフィスが自宅だったので、そこで面接をしてたら周りから「怪しいよ、それ」と言われ(笑)。それでボロボロだけど共有オフィスみたいなところに移り、それでも怪しいと言われ、4年目でようやく綺麗なところへ。そんな感じで、お金がなくなっていく焦りがなかったのは大きいですね。[第3回(10/28公開)に続く]

構成=筒井智子 モデレーター=谷本有香 写真=藤井さおり

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