当時、ルイ・ヴィトン・ジャパン(LVJ)に在籍し、グローバル・マーケティングの第一線で活躍していた鈴木貴子は、父・鈴木誠一が創業したエステーの商品デザインに危惧を抱き、その未来を案じていた。時を同じくして、100年に1度と言われる経済危機による景気低迷などから、エステーは2009年3月期、7年ぶりの減収減益に陥る。危機に対処すべく会長職から社長に返り咲いた貴子の叔父・鈴木喬は、デザインの一新で他社との差別化を図るべく「デザイン革命」と銘打ち、貴子に白羽の矢を立てた。プラダジャパン、外資系化粧品会社、LVJなどで長年培ってきた貴子のグローバル・マーケティングのスキルとノウハウに目をつけ、応援を要請したのである。
LVJを退社し、デザイン・コンサルティングの会社を立ち上げた貴子は、パッケージに踊る「大容量!」や「増量!!」の文字を「スポーツ新聞の見出し」と手厳しく評した。口で言って伝わらないならと、著名デザイナーの佐藤オオキを起用し、電子式消臭芳香剤のデザインを一新する。これが社外はもちろん、社内に大きなインパクトを与えた。
「オオキさんのプレゼンテーションを社員が見たとき、みんな腑に落ちたと思うんです。単に使い勝手を良くすることや外見を洗練させることではなく、コストダウンや生産効率まで考え抜くということが、すなわちデザイン革命なのだと」。喬の応援要請からわずか半年の出来事だった。
翌年の10年1月にエステーに入社。社員の誰もが真面目で明るく、クリエイティブに前向きな姿勢に貴子はあらためて好感を持ったが、欠点もはっきりと見えた。まず、失敗した製品の分析をしていない。責任の所在が明らかでなく、誰も反省しない。かつ、ユーザー視点を持たないままの新製品が乱立し、ヒットには至っていなかった。