ビジネス

2015.01.09

日本を救う起業家BEST10 No.2: 株式会社gumi 國光宏尚




128億円を上場前に調達した男が、「ゲーム世界一」の先に見る夢

これからの日本のスタートアップに必要な“日本発グローバル”。「世界ナンバーワン」というビジョンを掲げ、いち早くグローバル化に成功しているのがgumi。
IPO後、國光宏尚は次にどんな「世界一」を目指すのか―。


(中略)國光の「世界一」の発想の原点はどこにあるのか―。もしかしたら、そのユニークで自由なキャリアにあるのかもしれない。
國光は、高校卒業後、大学進学せず、1995年の阪神大震災をきっかけに、中国に渡り、上海の復旦大学へ入学。日本を発つ前に「30歳になるまでは好奇心の赴くままに」と決め、その言葉通り、大学を中退し、アジア諸国、北米、中南米と30カ国の放浪旅行。そしてカリフォルニア州にあるサンタモニカカレッジに入学。大学卒業後、30歳ではじめて勤めたのは、日本の映像プロデュースの会社だった。この会社勤務時代、現・メルカリ創業者の山田進太郎に出会う。「当時僕は、アメリカの最新IT事情を書いたブログをやっていました。そのつながりで彼とは会いました。影響は大きかったですね。人脈にIT業界の人が加わりました」

 山田との出会いも契機となり、國光は07年にgumiを設立。しかし、創業以降、gumiは右肩上がりの順調な成長とは正反対の道を歩む。事業転換、そして倒産危機も3度あったという。

 最初の事業は、ソーシャルネットワーク事業。本人曰く「モバイル版Twitter」。「創業前の07年2月の米サウス・バイ・サウスウエストでTwitterが初登場しました。それを見て『おおっ』と思ったんです。これからは人中心のソーシャルウェブがくると。これを先にモバイルでやれば、勝てると思ったんです」

 しかし、ユーザー数が思ったより伸び悩んだこともあり、プラットフォームを提供するはずが、自らもソーシャルゲームの開発を行った。その経験が生きたのが、09年に「mixi」へのオンラインゲームの提供だ。gumiがつくったゲームはたちまち人気になった。そして「Mobage」「GREE」がオープン化するタイミングでソーシャルアプリ開発会社へと事業転換した。
國光は当時のことをこう振り返る。
「僕が人生を賭けたのは、“ソーシャルウェブ”と“モバイル”。この2つの大きな波が100%くる、という仮説は何ひとつ変わっていません。その中でたまたまヒットしたのがゲームだったというだけ。『俺はここに賭ける』というのはブレていないんです」(中略)

 日本発グローバルの成功事例―。それこそ半歩先にグローバル展開したことが功を奏したのだ。「誰よりも早く挑戦、失敗し、そして復活する」。まさにgumiの行動指針そのものだ。

 現在、スマホアプリの賞味期限は短いなか、開発費も高騰している。あたるも八卦、あたらぬも八卦。まさにハリウッド映画と同じ。そこで際立ったのが、gumiの「グローバル」での強さだ。

 現在、従業員は840名、国内と海外で半々。売り上げも海外言語版が半分に迫る。とくに、gumiのもうひとつの行動方針「シンク・グローバル、アクト・ローカル」に基づく、徹底した「ローカライズ」は、その国の消費者ニーズを掴んだ。それがgumiの強みを横展開した、パブリッシング・サービス事業を生んだ。

 パブリッシング・サービス事業とは、他社のゲームをgumiのローカライズ力、マーケティングノウハウを生かして複数の海外地域に展開することだ。最近では、業務資本提携をしたセガネットワークスの「チェインクロニクル」など多数を配信している。早くから海外展開してきた成果が出たカタチだ。

 WiLの松本真尚共同創業者は投資理由を次のように話す。
「国内ゲーム市場が飽和すれば、海外へのパブリッシング事業のニーズは増える。グローバルでヒットさせてマネタイズしていかなければならないというスマホゲームの流れがあるなかで、グローバルの“水先案内人”としての需要は間違いなく増えていくだろう。これからは、コンテンツ・イズ・キングではなく、gumiのようなキングを支える“クイーン”の存在がますます重要になる」(以下略、)

山本智之

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事