「こだわり」の罠を解く東洋医学の手法

illustration by ichiraku / Ryota Okamura

病院に行ったものの、「異常なし」と言われ、がっかりしたことはないだろうか。痛みを訴えても診断がつかない。その痛みを消す東洋医学の手法がある。

ある日、72歳の女性とその娘が来院した。「あまりの痛みに死にたいのです」と言う母に、娘も困り果てている。1年前から目の奥の痛みを訴え、眼科を受診。眼底を含め全ての検査で異常が見つからず、内科を紹介される。内科では、断層撮影とエコーを含む検査で異常が見つからなかった。精神科に行ったものの、ここでも診断がつかず、その後、どの病院に行っても、「異常なし」と言われたという。そこで、娘は東洋医学での診断を試みたのだ。

私は診断を終えると、こう伝えた。

「胃に腫瘍があるかもしれませんから、胃カメラを予約しました」

母親はきょとんとした。目の奥が痛いというのに、なぜ胃がんを疑われるのか。驚くのは当然だろう。

2週間後、再来した母親は、「前回の漢方が効いて目の奥が痛くなくなった」と言う。ただし、胃の調子が悪いので、「胃カメラの予定を早くしてほしい」と訴えた。私は胃カメラの予約は、わざと4カ月後とかなり先にしていた。結局、再び2週間後に診断にやってきたとき、母親は「目と胃の両方の痛みが消えた」と言った。

「移精変気ですよ」と、私は説明した。

2000年前の中国の医学書「黄帝内経」に「移精変気」という治療法がある。難治の症状の原因には「気」が関わっている。気がどこかに集中して離れなくなったら、別のところに気をそらす。症状が改善したことを患者に自覚してもらい、症状の軽減を図るものだ。この母親の例でいえば、目の奥の痛みに集中して、滞っていた気の流れを、胃にそらす。人間は2つのことに集中できないのだ。

江戸時代の名医、和田東郭(1743〜1803)は、どの医者からも見放されてしまった起き上がれない婦人に「紅毛人(※オランダ人)からの奇石だ」と、路傍の石ころを持たせ、「それをさすると病はたちどころに癒える」と伝えた。婦人はその通りにすると、起き上がれるようになったという。漢方医の間ではよく知られた話だ。

病人は自分の状態を正確に認識していないものである。思い込みや、一極に集中した心配ごとで自覚症状を狂わせている。しかし、気をそらすことで症状が改善されるのだ。

ビジネスでもこだわることで上手くいかない例をたくさん見てきた。自分は株式投資に向いていると思い込み、10年以上損失をだしていても、まだ取り戻そうとしている患者がいた。また、保険業が儲かると聞いて保険の契約取りを何年もやっているが、3年以上実績がほとんどない人もいる。他人から見ると、明らかに滑稽なのだが、人間は意識が凝りかたまってしまうと、なかなか視点を変えることが難しくなる。

耐えて頑張るのは賛成だが、定期的に新しい視点を持つこと。これを習慣化させないと、誰しも「こだわり」の罠に陥ってしまうのだ。


桜井竜生◎1965年、奈良市生まれ。国立佐賀医科大学を卒業。北里大学東洋医学総合研究所で診療するほか、世界各地に出向く。近著に『病気にならない生き方・考え方』(PHP文庫)。

文=桜井竜生

この記事は 「Forbes JAPAN No.25 2016年8月号(2016/06/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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