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2016.07.18 17:00

インテルを率いた伝説の経営者、アンディ・グローブに贈る追悼文

インテルの伝説の経営者 アンディ・グローブ

ANDY GROVE
アンディ・グローブ
1936-2016

ナチ占領下のハンガリーを生き延び、革命を機に、自由の国へたったアンディ・グローブ。独学で英語を習得した彼は、カリフォルニア大学バークレー校で化学工学の博士号を取得したのち、フェアチャイルドセミコンダクターに入社。同社で出会ったロバート・ノイスとゴードン・ムーアが創業した半導体企業「インテル」に3番目の社員として参画した。長きにわたって同社の社長兼CEOを務め、IT業界屈指の企業に育て上げたグローブは、今年の3月に他界した。今回、フェイスブックの初期投資家として有名なジム・ブライヤーが、“カリスマ経営者”に追悼文を贈る。

母が故国ハンガリーの首都ブダペストを去ったのは1956年だった。旧ソ連のニキータ・フルシチョフ第一書記がハンガリー動乱で市民を鎮圧した年である。移り住んだアメリカで、母は私に、同じ地で暮らす同胞について書かれた新聞の切り抜きを見せたものだ。それが、アンディ・グローブだった。彼はまだ誕生して間もないインテルという会社で働いていた。こうして、私はアンディに憧れて育った。

そして94年、私はアンディに初めて会う。インテル主催のイベントで彼はステージに立ち、「インターネットがいかに世界を変えるか」といった大胆な予測をしていた。まさに、母が集めていた記事の通りの人物だった。自信に満ち、頭が切れ、エネルギーに溢れていた。そして、イベント中にあいさつする機会を得た私は、思いやりと親切心という彼の別の面も知ることになる。まだ途中にもかかわらず、私たちは祖国や家族について30分近く話し込んだ。

その後も、私たちの友情は続いた。アンディはしばしば、いつになったら堅気の仕事に就くのか、と私をからかったものだ。「この“ベンチャー投資”とかいうブームはそろそろやめにしたまえ」という具合に。でも、投資以外の彼のアドバイスには真剣に耳を傾けた。彼は、「楽天家は自分に都合のよい情報ばかりに気を取られ、悪い兆候を見落とす傾向にある」と信じていた。その助言を、私は今の若い起業家たちに贈るようにしている。

2年前、私は両親と共にブダペストを訪れた。両親の友達は皆、「アンディ・グローブに会ったことはあるのか?」と熱心に聞いてきた。アンディは、ハンガリー人にとっての“英雄”だったのだ。だから、彼が亡くなったと聞いたとき、すぐに母に電話をした。彼女の声から一抹の寂しさが感じ取れたのを覚えている。きっと僕の声も同じだったと思う。

ジム・ブライヤー◎ベンチャー投資家。スタンフォード大学卒業後、マッキンゼーを経て、1987年に投資会社「アクセル・パートナーズ」に参画。2005年にSNS「フェイスブック」への初期投資で一躍有名に。代表的な投資先に手づくり品販売サイト「エッツィ」や音楽配信サービス「スポティファイ」など。現在は、ブライヤー・キャピタルを率いる。

文=Forbes JAPAN編集部

この記事は 「Forbes JAPAN No.24 2016年7月号(2016/05/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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