バーチャルリアリティの残念な現実

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サムスンの「Gear VR」を額の方にずらして顔を上げた私は、ワクワクしながら私の言葉を待っている「VR体験」チームの面々の顔を見上げた。相手を安心させるような顔をしたつもりだが、明らかに落胆している表情を隠すことはできなかった──。

子どもが落書きで描いたロケットの絵が、妙にリアルなペニスのように見えたときの笑顔とでも言おうか。不快感が顔に出てしまうのは隠せないけれど、それをはっきりと言葉に出してしまうほど残酷にはなれない、といったところだ。

どういうことか、説明しよう。私は先ごろ、マリオットホテル・チェーンがロンドンとニューヨークのホテルで提供しているバーチャルリアリティ(VR)体験付きの滞在に招かれたのだ。

宿泊客は滞在中、Gear VRを24時間、自由に使うことができる。なぜ私がそれを体験したかは、ただ提供されたから、というほかに明確な理由はない。私が体験したのは、マリオットホテルが「VRポストカード」と呼ぶものだ。なぜ絵はがきかといえば、ホテルと言えば旅行、旅行と言えばそこから送る絵はがきだからだ。3種類作られているそのVRの中身は、お気に入りの土地を訪れた3人が、旅先でその地について話すというもの。まあ、ただそれだけだ。

聞こえてくるその人たちの声は、周りを見回してみろと促すが、画像はまるで耐油紙を通して見たVHSビデオのようだし、この体験自体が…退屈だった。

低解像度の不鮮明な画像で誰かが自分の大好きな場所について語るというのは、私にとっては「エンターテイメント」ではない。特に休暇中であれば、なおさらそうだ。ホテルを出るときに私のためにドアを開けてくれたシルクハットのホテルマンたちの方が、はるかに楽しませてくれた。

これが、モバイルVRに対する主な私の意見だ。大型で高額なタイプなら、こんな不満は持たないのかもしれないが。ただ、これまで体験してきたものはどれも、「あともう一歩」や、「将来の可能性はたいへん大きい」といったところなのだ。なぜかといえば、最新のVR機器はまだ、それらを売り込もうとする人なら誰でも、「これが完成品」と言ってしまえば消費者が落胆するに違いないことを分かりすぎるほど分かっている、という水準だからだ。私も、現在のVR機器にはまったく感銘を受けない。単にそれをつくる技術があることを示すだけで、まだ実際に人を楽しませることができるレベルではないのだ。

これは私の持論だが、バーチャルリアリティは結局、一過性のブームに終わるのではないだろうか。恥知らずなテーマパークが「未来的なジェットコースター」のようなもので安物のVR体験を「つかませ」、儲けようとするようなものに終わってしまうのではないか。

実は、それに近いものはもうすでに存在している。間もなくイギリスのテーマパーク、アルトン・タワーズに登場する「ギャラクティカ」は、乗客がVRヘッドセットを着用して乗りこむものだが、映画『トロン』(1982年)で描かれたような、安っぽい全身タイツを着ている限り何でもできる仮想世界とは違う。寒くて湿っぽいイギリス北部のテーマパークで、学生アルバイトに荒っぽくVRのヘッドセットをかぶせられ、脚をぶるぶる振るわせられて、シューシューいう音を聞かされるという程度のものでしかない。

「おばあちゃん、初めてVRを体験」というYouTubeの動画も見てみた。だが、あの動画が心温まるものだとして大ヒットするほど、おばあちゃんは圧倒されていなかった。結局のところ、VRで「適正に興奮する」のは難しいのだろう。

編集 = 木内涼子

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