リスクテイクは脳へのご褒美か?[Forbes WATCH〜時の進化〜]

池上高志が2006年に初めて山口の アートメディアセンターで披露した 「Filmachine.」

英国のフリストン教授は、脳は未来に対する予測の誤差を最小にするように働いているという。脳はこれから起きることを無意識に予測し、神経細胞はその予測誤差を計算する。予測といっても何時間も先は予測できないが、常に先を予測してその誤差を小さくするよう生物は行動しているという。

鳥や犬もちょっと先のことを予測して、それをもとに行動している、というのは正しいように思える。ベルが鳴ったら餌がくると思ってヨダレを流す、というパブロフの実験も予測である。池の鯉だって、人の姿を見ると、餌がもらえると思って寄ってくる。これも予測の一種である。昔、『ねこに未来はない』という長田弘のステキな小説があったが、それはねこがよくふらっと出ていったまま帰ってこないからだ。ねこは予測とかしないのだろうか。

ところで予測が当たるのは面白いか、どうか。もちろん、競馬で予測が当たって万馬券がザクザク当たれば楽しいが、いつも当たってしまうと競馬そのものは面白くなくなるはずだ。面白いか、面白くないかは、主観的な問題だが、これを脳内のドーパミンがどれくらい放出されるかで測定できるとする。ドーパミンは脳の報酬系と呼ばれ、なにかご褒美がもらえたときとか、もらえると予測されるときに放出されるといわれる。うれしいと放出されるのだ。

しかし2003年の論文でシュルツたちは、必ずしもそうではないことを示している。何かサインを出してこれから何秒か後にジュースがもらえるよ、という実験をサルでしてみた。実験の核心部は、いつもジュースがもらえるわけではなくしたところにある。いくらサインを出してもジュースが出てこないならばドーパミンは出てこない。しかし驚いたことに、100%もらえる場合もやはりドーパミンは放出されない。50%でもらえるときにいちばん放出される。つまりドーパミンは、もらえたうれしさや予測の精度に対するご褒美ではなくて、ドキドキする期待に対する放出なんだと思える結果である。不確実性の世の中に適応的に生きていく生物に、ふさわしい仕組みである。

このシュルツの実験結果とフリストンの結果を合わせると、どうも生物は予測しつつ、はずれることを楽しみつつ行動している、ということになるのではないか。例えば日本人はリスクを取りたがらないという。実際外国の人のほうがリスクを取ることにためらいがない、という調査結果がある。僕のまわりでも、外国の友人の方が破天荒な人が多い気がする。日本人は不確実性に対するドキドキ感が薄いのだろうか。シュルツの実験が示すように、サルにも不確実性を愛する傾向があることを示唆するが、それは実際にリスクテイクという形で行動に反映されるのだろうか。思い通りになんかいかないことをやるんだ、という思いはサルにもあるのか。

ぼくは50歳になろうというときに、生まれて初めて聴衆を前に、コンピューターで演奏する事態に遭遇したことがある。10年の原宿・VACANT。準備期間は1週間もない。まいったなぁ、と思い悩んでいたぼくに、たまたまアメリカから来ていた大の親友が言った。「Takashi、おまえ最近何か怖いことしたことがあるか?

もう怖いことなんてないだろう。これはめちゃくちゃ貴重なチャンスだよ!」まったくその通り。安全のために2つのコンピューターを使い(実際にひとつは演奏中にハングした)、狂ったノイズ音楽の、最初で最後のショーをやり遂げた。ぼくの脳は最大限にドーパミンを放出し、フェーズが変化した。リスクを取ることは、世界の見えを更新することでもある。

よくSF小説に時間を自由に行き来する話が出てくるが、カート・ヴォネガットの作品に出てくる宇宙人もテッド・チャンの作品に出てくる宇宙人も、どちらもつらそうだ。過去も未来も全部見通せることは、リスクテイクを排除し、ドーパミンの放出を抑制するからか。にもかかわらず、人類は時間の不確実性を減らすべき頑張ってきたという歴史がある。いまネットには多くの過去と未来の情報が集約され、現在がやたら肥大化した、さながら時間の地平線=時平線が生まれているようだ。あっちに高い時間の山が、こっちに深い時間の渓谷が横たわっている。そんな時平線を見定めつつ、やはりリスクを取るのが人生だ。未来を見通せないということは福音なんだという思いが、あの初めての演奏を経て心に去来する。


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池上高志が2006年に初めて山口のアートメディアセンターで披露した「Filmachine.」。
作曲家の渋谷慶一郎との最初の共同作品で、コンピュータで生成した複雑な音源とその運動が作り出す立体音響インスタレーション。
2014年にMedia AmbitionTokyo に招待されている。


池上高志◎東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は複雑系の科学。アートとサイエンスの領域をつなぐ活動も精力的に行う。著書に『生命のサンドウィッチ理論』(講談社)、『動きが生命をつくる』(青土社)など。

text by Takashi Ikegami

この記事は 「Forbes JAPAN No.18 2016年1月号(2015/11/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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