IoTを切り拓いた男 ベルキン創設者56歳の人生

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あなたの身の周りを探せば、チェット・ピプキンの会社の製品がきっといくつか見つかるだろう。ピプキンが創設したベルキンは「リンクシス」ブランドの無線ルーターや充電器、タブレット用キーボード、電源コード、ドッキングステーション、iPhone用ケースなど、様々なガジェットやコンピュータ周辺機器を作るメーカーだ。

フォーブスの推計では、ベルキンの年商は15億ドル(約1800億円)。2013年に「リンクシス」を含むシスコの家庭向けネットワーキング事業部門を買収して以来、売上規模が急速に拡大している。7月にはベルキンの株式の10%を保有するベンチャーキャピタル、Summit Partnersから全ての株式を買い戻した。

これによりピプキンが実質的に100%オーナーとなり、その資産は11億ドル(約1320億円)に達する。ベルキンがSummit Partnersから出資を受けたのは13年前のことだが、ピプキンは株式の上場を迫られることを恐れていた。IPOを望んでいなかったピプキンは、「我々は常に長期的なビジョンを持っており、短期的な価値を生み出そうと考えたことはこれまで一度もない」と述べている。

現在55歳のピプキンは、機械工を父に持つ。カリフォルニア州南部の労働者階級が住む地域で育ち、子供の頃から学校のカフェテリアで皿洗いをしたり、自家製ろうそくを売るなど様々な仕事を経験し、小遣い稼ぎに励んでいた。

一説によると、ジョン・スタインベックの小説『怒りの葡萄』に登場するMa Joadのモデルは、ピプキンの大叔母だという。彼はUCLAに進学したが、PC革命でひと山当てようと1年も経たないうちに中退した。彼はエンジニアリングを正式に学んだことはないが、ひらすら発明を続けた。「当時は新しい製品を作ることを常に考えていて、機械を壊しては元に戻していた」とピプキンは話す。彼の初期の発明品の一つが、Apple IIをどんなプリンターとも接続可能にするパラレルケーブルだ。

実家のダイニングテーブルでプロトタイプを製作し、もっと広いスペースが必要になると車庫に移動した。彼はこのケーブルを地元の商店に売り歩き、1年目の1983年には売上が17万8000ドルに達した。1985年に「Computer Dealer」誌上で初めて全国広告を打つと、全米から注文が殺到したという。その後製品ラインを広げ、ロサンゼルスに店舗をオープンしたが、家賃を抑えるために場所は治安が悪いことで有名なコンプトンを選んだ。

今では高級住宅地のプラヤビスタに、ガラスで飾られた立派な本社を構えている。この地域は、周辺にネット企業のオフィスやその経営者の住居が立ち並ぶことから、「シリコンビーチ」と呼ばれている。現在、ベルキンはモノのインターネット(IoT)に力を入れており、コーヒーメーカーや調理器具、スプリンクラーなどが操作できるスマートホーム・プラットフォームのWeMoアプリを開発した。

WeMo対応の製品は150ヶ国で26種類展開されているが、競合が多い上に技術的な障壁も高く、まだまだリスクの大きい事業だ。現状100万件の家庭でWeMo対応のスマートホーム製品が使われている。ピプキンはIoTこそが次世代テクノロジーのフロンティアであると賭けており、WeMoがこの成長市場でリーダーになることを期待している。調査会社Strategy Analyticsは、IoT産業が来年240億ドル(約2兆8800億円)規模に成長すると予測している。「我々は絶えず自己改革を行っていかなければならない」とピプキンは話す。

編集 = Forbes JAPAN 編集部

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