パリ同時多発テロ事件の裏に隠された悲劇の本質

Cintia Erdens Paiva / shutterstock

11月にパリで発生した同時多発テロは間違いなく残虐この上ないもので、我々が恐怖に陥るのも当然のことだ。しかしこれが意外だったかといえば、意外ではなかったはずである。少なくともフランス人にとっては意外ではなかったはずなのだ。

怒りに震えるフランソワ・オランド大統領は、テロを受けて「我が国は戦争状態にある」と宣言したが、そもそもフランスは去年からイラク、更にはシリアの「イスラム国」軍に対して空爆を始めた時から、戦争状態にあったのである。フランス国民が犠牲になって初めて宣言したのはなぜか。オランド大統領は戦争による被害が自国民に及ばないことを期待し、国民には紛争の存在すら気付かれないままにすることを願っていたのではないだろうか。

テロリズムは極悪の極みである。民間人を標的にすることはモラルに反している。しかし、残念なことにテロの発生はある程度予測することができる。長く弱者の常套手段として使われてきたではないか。100年前には、1人のセルビア人がテロにより第一次世界大戦のきっかけをつくった。

もう少し近年ではスリランカでシンハラ人偏重の政府に反発するタミル人たちが長く自爆テロの代表格だったが、その後イラク議会で多数派となったシーア派と対立するスンニ派勢力によるものが増えていく。そして、今度は、これまでアルカイダの代名詞であった大規模テロという戦法に「イスラム国」が更に磨きをかけてきているように感じられる。

なぜこのようなことになってしまったのか、理由は明快だ。フランスの国会議員フレデリック・ルフェーブルは「我々の価値観、アメリカと共有する価値観を破壊するためである」と主張しているが、これが原因ではない。フランス人地政学者ドミニク・モイジは、「イスラム国」からのメッセージは明確で「我々を攻撃したから、あなたたちを殺す」ということだと指摘する。

そうなのだ。アメリカが2001年9月11日に突き付けられた事実は、理解されていないのだろうか。世界中で他国を爆撃、攻撃、侵略し、内政に干渉、抑圧的な政権を支持し、善かれ悪しかれ市民を殺害していると、必然的に敵を作り、しっぺ返しを食らうのだ。もちろん、こうした理由があるからテロが正当化されるわけではない。しかし、「イスラム国」を攻撃した国は、高い確率で報復を受ける。

その報復を受けるのは恐らくごく普通に暮らしている無実の市民である。そのことに、各国政府は気付くべきなのだ。それがパリで起こったことであり、その前日にベイルートで起こったことであり、ロシア行の航空機で起こったことなのである。

こうしたテロ行為は、単純に戦争における武器のひとつに過ぎないのだ。「イスラム国」が普通の国家だったら、自国の統治領に300回もの空爆を行っているフランス機を、爆撃機で打ち落としたとしても誰も意外に感じないだろう。フランスの爆撃機が撃墜されたことに対する衝撃や疑惑はあったとしても、少なくともモラルに反するという怒りが噴出することはないはずだ。

「イスラム国」がパリの街を爆撃したとしても同様だ。それが、戦争というものだ。そして、フランスは実際に10月に「イスラム国」が首都としているラッカを爆撃しているのだ。尚、アメリカは第2次世界大戦以降、全ての主たる敵対勢力の首都、つまりローマ、ベルリン、東京、ピョンヤン、ハノイ、ベルグラード、バグダッド、そしてトリポリを爆撃してきた。

「イスラム国」は間違いなく直接的な報復がしたかったはずだが、それだけの軍事力を擁していないために、テロという手段を選んだのだ。オランド大統領は自分がこの惨劇の責任の一端を担っていることなど微塵も感じさせないが、パリのテロで死亡した129人はフランス政府が戦争をした代償となったのだ。もちろん、彼らが犠牲にならなければいけなかった理由にはならないが、実行犯の一人はこう言ったという。「おまえたちの大統領のせいだ。シリア(とイラク)に介入なんてしなければよかったんだ」

シンガポール南洋理工大学のクマール・ラマクリシュナは、「イスラム国」は非常に単純な戦略を組み立てたのだと主張する。有志連合を従来型の兵力で倒すことができなくても「シリアとイラクで外交的、軍事的介入を行うことに対する、国内での代償を増大させる」ことならできる、というものだ。

2004年にマドリードで発生した列車爆破テロ事件では、実際にスペイン政府がテロを受けて当時の有志連合を離脱している。逆に、今回のフランスのように、より攻撃的な反応が返ってきて戦闘が拡大すれば、この戦いが民族間紛争であるとする「イスラム国」の主張が現実味を帯びてくることになる。

西側諸国は、戦争という猛犬を放ったのであれば、自国民だけは噛まれないなどと考えるのはやめることだ。リベラルな民主国家だからといって、爆撃や殺戮を純粋な概念に基づいた行動に仕立て上げることにはできない。

各国政府は、本来不可避な戦争の恐怖から自分たちの国だけ逃れ切れるふりをするのではなく、戦争の果実が、考えられ得る代償よりも大きいことを自国民に説明し、納得させなければいけないのだ。現在でいえば、自国内でテロが発生する可能性が高まることを含む。9/11以降はテロの封じ込めに成功しているアメリカも、今後それが続く保証などない。

そうなると、自ずと浮かぶ疑問がある。なぜアメリカと有志連合に参加しているヨーロッパの国々は、そこまでして遠く離れた国の問題に首を突っ込んでいるのだろうか。

「イスラム国」は邪悪な魔物で、「イスラム国」のメンバーが空爆で死んだとしても同情の余地はほとんどない。しかし、多くの独裁政権における兵士と同じということもできる。「イスラム国」が引き起こしてきた殺戮は悲惨なものではあるが、実質的な規模で比較すると、以前から続くスーダン、コンゴ、リベリア、ルワンダ、ブルンジをはじめとする様々な国で続く紛争に比べれば、ずっと小規模なものである。

テロ組織で比較しても、「イスラム国」は最大の殺人集団というわけではない。殺人数でいえばナイジェリアのボコ・ハラムが最も凶悪な組織である。「イスラム国」も、黎明期にはアメリカやヨーロッパ(そしてレバノンやロシア)を攻撃したわけではなかった。アメリカに敵視されてしまうと統治領も自治区も設立が非常に困難になることが引き金になりテロを起こし、統治領を設立したことで海外でのテロ行為に対する報復先ができた格好だ。

もちろん、「イスラム国」が統治領の設立に成功した暁には、アメリカを標的にした連続テロを企てたのかもしれない(設立できずに終わった場合も同様にテロに向かうかもしれない)。しかし、9/11以降アルカイダのテロが封じ込められているのに対し、「イスラム国」を封じこめられないと判断する理由はない。

何か問題の発生を察知したら対応する形をとり、撤退の難しい中東の派閥間戦争にまたしても参戦するべきではないのではないだろうか。何万人もの兵士を送り込む提案をしてしまうのは、人類の歴史はもちろん、イラク戦争から何も学ぶことができていない証拠である。中東をつくり替えることなど、アメリカにはできないのだ。

いずれにしても、「イスラム国」は持続する国家を設立することは難しいだろう。「イスラム国」の強さは、相手の弱さの写し鏡でしかない。実際に「イスラム国」のジハードの戦士たちは、様々な敵からの圧力が強まり、形勢の悪化に歯止めがかけられずにいる。その上、死刑をちらつかせて、兵士たちの離脱を防止している状態だ。また、サウジアラビアやトルコが本気で「イスラム国」をつぶそうと思えば、イスラム国の統治領はひとたまりもないだろう。

悲しいかなアラブにおけるアメリカの同盟国はどこも驚くほど賄賂にまみれ、不誠実かつ無能で無責任な輩ばかりである。どの国も自国の存亡が脅かされると抜群の動きを見せるものの、アメリカが仕事を肩代わりすると言い張っている間は動こうとしない。

実際にアメリカが作った壮大な反「イスラム国」有志連合に参加を表明していたアラブ諸国は皆離脱してしまった。ベトナム戦争時に徴兵を免れたチェイニー元副大統領と同じように、「より優先順位の高い問題」を抱えているため戦争は他国に任せておきたいのだ。アメリカもいい加減お人好しはやめた方がいい。

アメリカでは、第三次、第四次世界大戦参戦といった、愚しく右傾化したことを言い出す人々もいる。大統領選での巻き返しに必死なジェブ・ブッシュもその一人だ。「イスラム教過激派のテロリストたちが西洋社会に宣戦布告したのだ」と主張している。外交実績を誇るにも関わらず、恐ろしく単純化された世界観しか持ち合わせていない上院議員のマルコ・ルビオはこう断言してみせた。「テロリストたちは『我々と価値観が相いれないから我々の嫌うのです』。

であれば、なぜ「イスラム国」はベイルートのヒズボラで43人のレバノン人を殺したのか、なぜモスクワ行の飛行機に乗る224人のロシア人を殺したのか。フランスとロシアとヒズボラを結び付けるものはリベラルな寛容さでも、西洋文明でもなく、残酷な闘いである:皆、「イスラム国」と戦争中なのだ。

ニューハンプシャー州の地方紙マンチェスター・ユニオン・リーダー紙も1972年のパレスチナ人によるイスラエル人オリンピック選手の殺人、1983年のレバノンでのアメリカ海軍宿舎爆破、9/11のテロ、パリのテロ、更にいくつかの事件を全部まとめて、アメリカのイスラム教過激派との「長きに渡る戦争」の証左、とする誤った分析をしていた。

パレスチナによるイスラエルへのテロの原因は地政学的なものであり、宗教的なものではない。ファタハは宗教的な政党ではなく、それが理由でイスラエルも一度きりのテロだったためパレスチナ自治区のヨルダン川西岸で和解に至った。また、レバノンの内戦で、アメリカ軍がイスラエル側についたのは宗教ではなく、時のロナルド・レーガン大統領の判断であり、結果としてアメリカ軍が標的されることになったのだ。イスラム教過激派によるものに限らず、ほとんどのテロリズムは地政学的な問題に対する形を変えた戦闘である。つまり、強い復讐心をもった敵を作りたくなければ、海外での紛争に介入しないことなのだ。

更に言うならば、どんなにひどいテロにも、アメリカやヨーロッパ、あるいはアメリカの中東での同盟国を存亡の危機に陥れるような力はない。9/11の死者3,000人はおぞましく大きい数字ではあるが、第一次世界大戦は2,000万人を上回る死者を出した。第二次世界大戦は少なくとも5,000万人、多ければ8,000万人の命を呑み込んだとされている。

更に、負傷者の数は死者の数の2倍強とされる。経済損失は算出不能な規模だ。比較的「小さめ」とされる朝鮮戦争やベトナム戦争でも何万人ものアメリカ人と何百万人もの韓国人やベトナム人が命を落とした。テロリズムを戦争と並列で考えることなどできないのだ。

パリのテロの最もわかりやすい被害者は命を落とした人々と負傷した人々、そしてその人たちの家族と友人であり、非常に悲しいことである。しかし、同じくらい腹立たしいのは、「イスラム国」への爆撃によりフランスをテロの標的にしておきながら、オランド大統領が議会でシリアは「歴史史上最大のテロリスト製造工場」と真っ赤な嘘を述べ、テロを更なる介入の理由に利用したことだ。

オランド大統領は、戦争のリスクを軽視し、フランスが他国を爆撃して殺人をしているにも関わらず自国が戦争状態にあることを認めもせず、自分は特別警護部隊に囲まれて登場して決断力のある政治リーダーを気取ったのだ。

もっとひどいのは、パリでのテロ以降、無責任さに拍車がかかり、より多くの人に対する、より大きな戦争を展開するように呼びかけ始めたアメリカの共和党大統領候補たちだ。アメリカは、3,500人の軍関係者が既に現地でイラク部隊の指導やトレーニングを行っている。特殊部隊も戦闘活動に参加、あるいはアシュトン・カーター国防長官の言葉を借りると「直接的な地上作戦」を展開しており、「イスラム国」による捕虜の開放作戦で兵士1名が犠牲になっている。

アメリカ政府は「Special Forces in Syria(シリア特別部隊)」を立ち上げ、好ましい「イスラム国」反対勢力の支援も行っている。更に、オバマ大統領はイラクに攻撃型ヘリコプターアパッチの部隊に加え、相当な地上支援部隊を送ることも検討しているようだ。これだけの作戦を展開して「イスラム国」を縮小させることができなければ(恐らくできないだろう)、更なる介入拡大への圧力が強まるのは必至だ。そして、これまでアメリカ政府が同様の選択を迫られた時はいつも倍賭けをしてきている。
 
共和党の大統領候補たちは、「イスラム国」だけでなく、シリアのバシャール・アサド大統領に対しても対応を強化するよう求めている。また、戦争好きで知られるリンジー・グラハム上院議員は、「『イスラム国』を破滅させたいのです」と叫び、10万人規模の国際連合軍で立ち向かうことを提案した。しかし、中東で多発する派閥間紛争への介入度を深めることが、どのようにアメリカの国益となるのか、何よりアメリカの安全を守ることになるのかについて、きちんと説明した共和党員はいない。

テロリズムが邪悪で恐ろしい行為であることは確かだ。しかし、テロを発生させないための最善策は、他人の戦争に首を突っ込まないことなのだ。それが、パリのテロからの最大の教訓だろう。9/11も同様である。

アメリカの大統領選まで一年を切った今、アメリカの有権者は新保守主義的イデオロギーや他国の君主よりも、自国の利益を優先する候補を必要としている。そういったリーダーが登場するまで、アメリカの人々は不要な戦争を戦い、不要なテロの危険に晒され続けるのだ。

編集 = Forbes JAPAN 編集部

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